只見線の不通区間の被害状況を見てきた
2013.04.21 Sunday 01:12
毎度お馴染みMLえちご 今回は素直に新宿から乗車する
特に行くあても無かった というか寝ていたかったので 新潟まで乗り すぐに長岡まで折り返し さらに上越線に乗る
流石雪国……
小出駅で下車する
ここに 鉄道マニアなら誰もが一度は訪れたい知る人ぞ知るローカル線 只見線がある
列車はキハ40系
JR有数の赤字路線であるが 大白川〜只見間は冬季 並行する国道が通行止めとなるため 廃止を免れてる
列車は山間部を進み 車窓はなかなかのものである
豪雪地帯を進むため 超重量級の国鉄形の列車 キハ40形2両編成で動いてる
こうでもしないと雪の中を進む際 かなり不安定になってしまうのである
列車はやがて只見駅に着く
この只見駅の隣には田子倉駅というのがあったが廃止されてしまった
秘境駅として、また冬季駅前の国道は通行止めと言う状況から有名な駅であった
田子倉(臨)の表示はガムテープで消されてる
ここから 会津川口までの区間は 東日本大震災の後に発生した 新潟福島豪雨で 現在も不通である
電車の通らなくなった線路は雪で埋もれてる
只見駅 島式ホーム1面2線
只見駅である
地元民の利用者は全く居なかった
しかし、駅の中は男共で溢れてる
みんな同業者であろう
しかし、この同業者達も 大半はこのまま小出に折り返してしまった
この過疎ダイヤ その上 不通区間である会津川口方面へのダイヤは空白となっているのが一層寂しさを際立てる
20数人居た同業者も 不通区間の代行バスに乗る人は一桁であった
これが代行バスらしい
どこからどう見てもジャンボタクシー
代行バスに乗った残りの同業者がみな終点の会津川口まで乗るなか 一人だけ とある無人駅で降ろしてもらった
運転士が「こんなところでなにするの?」とか驚いていた
降りた途端「ガキがこんなとこになんの用だ」
とでも言いたそうな顔で駅前の民家の方がこっちを不審そうな顔で見てきた
僕はただの中学生で他所者なのだから当たり前ではあるが その顔はやめて欲しい
本名駅である
除雪されてないのでこの様である
ホームの上にも雪が乗っかっている
待合室は閉鎖されてた
この踏切が本来の役目を再び果たすことを
この駅に再び列車が停車することを祈ってます
本名駅から少し来た道を戻る
ガーター橋には雪がたっぷり載っている
実は この先 何が起こっているかは 代行バスの中から見えてしまってた
……うん、やっぱりない
あったはずの只見線の橋梁が無くなっているのである
確か 上路式トラス橋があったはずだ
上路式 つまりトラス構造の上に路を通すものである
鉄道で一般的なのは 下路式である つまり線路の上にトラス構造があるものだ
しかし、ここは線路の下にトラス構造があったので その分川と橋が近かったため 増水時に濁流に飲み込まれてしまったのであろう
ガーター橋の部分だけ取り残されていた
この時は増水していたので見えなかったが 川の水が引くと 下に鉄骨が見える
これ、鉄橋の残骸らしいです
取り残されてたガーター橋
ここに再び橋がかかることがあるのだろうか…
気を取り直して本名駅に戻り 会津川口に進む
雪に埋もれた橋梁
正直 3月も終わりになって まだこんなに雪が積もってるとは思わなかった
この橋は無事のようだ
国道の対岸を走る林道の橋
沈下橋であったため 被害はなかったようだが その先河岸には「福島豪雨復旧事業」と書いてあった
ちなみに橋渡った先は冬季通行止め
国道の旧道の橋があった跡
流されたのだろうか……
やがて只見線の橋が見える
何かがおかしい
……うそだろ
あ、はい
見事に ガーター橋があったであろう場所には何も無かった
橋は虚しく取り残されている
本名駅は前後の橋梁が流され孤立してる状況みたいだ
川はカーブの外側のほうが力が強くかかる
そのためなのか 岸がたえきれず土砂崩れも起こり 橋梁も流されたようだ
只見線の線路があったはずの場所は福島豪雨復旧事業の為の工事用通路として使用されてた
とてもじゃないが 只見線よ復旧に力を注いでるとは思えない
今は冬季だからとかそういう理由ではない 現にこの只見〜会津川口間では復旧工事がまったくされてない
JR東日本は復旧させるつもりすらないのだ
だからと言って東日本大震災での被災路線全線復旧を目指してるJR東日本を叩くつもりはない
現に代行バスがジャンボタクシーで済む区間なのだ ちなみにこれは路線バスでも赤字うんぬんではなく地方の補助金なしでは運行できないレベルである この区間は国道が冬季通行止めになるわけじゃないので鉄道の需要などないのである
「鉄道がない街は地図から消える」とあるローカル線の社長が言った言葉だが これはあながち間違えではない
只見線がなくなると 只見と言う名前は地図から消えるだろう
路線図からはもちろん消えるし 人々の記憶の中からも消え去る
そして地図でも 誰の目にも取らないぐらいにポツリと行政名が書かれてるだけに留まる
しかし、鉄道がある それだけで優遇されてる点は否めない この数年でバス路線がどれほどの数廃止されたか
この会津地方で言うと 只見町と檜枝岐村の違いはかなり大きい ともに国道が冬季通行止めとなるが 鉄道があるとないとでは全く状況が異なる
この件については結論を言うつもりはない
あえて曖昧にしたのは 人それぞれの考えを尊重したいからだ
僕だって、好きでクソアルファを叩いてるわけじゃない
その後の区間も雪に埋もれていた
やがて、集落が見え始めた
線路はここまで除雪されていた
橋の向こうはもう駅である
しかしここ 国道の旧道を使いアクセスしてたのだが 見事に通れなかった
仕方ないので戻って 現在線のトンネルの歩く
会津川口駅である
不通区間はここで終わる
会津若松行きに乗る
代行バスに乗ってきた同業者数名も見事に一緒で 途中で降りたはずの僕が駅に居るのを不審がっていた
ちなみに代行バスに乗るとここで2時間待ちなのだ
列車が発車するまで 会津若松からここまで来た同業者の方としばらく話してた
どうやら被災地の線路を歩いてきたそうだ
普段 廃墟 廃線などを歩いてて同業者と語ることはないので こうゆうローカル線はまた違った感じで面白い
会津坂下駅 バンゲと読む
会津若松駅までやってきた
途中代行バスであったが その区間は小1の時に乗車したのでこれにて念願の只見線全線走破を果たした
3月最後の日 会津若松はまだ雪が降っていた